新入幕の東前頭17枚目・尊富士(24=伊勢ケ浜)の歴史的優勝は千秋楽に持ち越された。大関経験者の朝乃山に敗れて2敗目。土俵際で寄り切られた際に右足を痛めた様子で車いすで花道を戻った。その後、救急車で病院へ搬送された。1差に詰まったが、変わらず単独トップで楽日を迎えるが、出場可否も含めて一転大ピンチとなった。

1914年(大3)5月場所の両国(元関脇)以来となる新入幕優勝。その両国の11場所を上回る所要10場所の史上最速と記録ずくめの優勝の重圧は、やはり半端なかった。

12日目に大関豊昇龍に初黒星を喫した。部屋に戻ると「めっちゃ悔しい!」と叫んだ。その荒ぶる心を鎮めてくれたのが横綱照ノ富士からの電話。「場所中になかったのでビックリしました。『切り替えて準備に集中しろ』と。『上位は立ち合いだけで通じない』とアドバイスをいただいた。相手の体勢を崩すこと。相手がどういう攻め方をするか」の教えを受けた。

効果は13日目の土俵で示した。関脇若元春を立ち合いから攻め抜いて寄り切った。1敗を守った12勝目で賜杯に王手をかけたが、「勝っても負けても自分の相撲をとって、15日間しっかりと土俵に上がることだけが務めと思っています」と冷静に話していた。

ベテランの力士でも、ここまでの局面にくると自然に表情は硬くなり、口は重くなる。そんな「普通」とは尊富士はかけ離れていた。出番前の支度部屋では兄弟子の翠富士にいじられる。13日目も取組を終えた翠富士からおもむろに両手で顔をはさまれた。

尊富士は「日常ですから」と笑顔で返す。「支度部屋で集中しても切れてしまう。『集中するのは花道だろ』と横綱から教えられていますから」。毎場所のように優勝を争う力士が登場する伊勢ケ浜部屋の空気もピリピリすることなどない。部屋付きの楯山親方(元幕内誉富士)は「緊張はないでしょうね。『お、チャンピオン』とか言われてニコニコ笑ってますから」と証言していた。

まさに令和の新時代を築く力士。場所前の番付会見で、入幕のスピード記録を聞かれ「ありがたいことだが入門してからスピード出世にこだわりはなかった。記録で満足しているようでは先は見えない。相撲人生は自分の中で挑戦なんで。相撲をやっている間は、自分の人生を相撲にささげたい」と力強く言った。

相撲にささげる日々が、ひとつの結果として大きな実を結ぼうとしている。足踏みも貴重な経験。千秋楽も主役として熱い大阪のファンに迎えられる。

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